一日がどうあるべきか

ブログを始めたのは、父に、ふと勧められたことです。

他にも色々と触れることがあり、

次第に、同じように苦しむ女性の為に、

いつか力になりたいと思うようになりました。

その第一弾としてのブログとしては完成度が低いですよね。

 

一つ、記録しておきたいのは、ターニングポイントとなった日です。

2月17日(月)この日から会社に行っていません。

3日20日(金)この日を機会に実家に戻ることになりました。

 

私は3月7日が誕生日で、26歳になりました。

色んな自慢はあるけど、私には大切な友達が3人います。

7月生まれと、9日生まれと、12月生まれ。

大学入学早々出会い、すぐに仲良くなり、

みんな地方出身だということもあり、4年間ずっと一緒でした。

それから、みんなの誕生日がうまく離れている為、

社会人になっても誕生日会が続いています。

 

3日20日(金)この日祝日だった為、 

私が食べたいものや飲みたいものを伝えて、

欲しいプレゼントを伝えて、

友達3人が準備してくれる予定でした。

でも、この時すでに誰とも連絡が取れない状態になってました。

 

内心では、「分かってる」「分かってる」

「ごめん」「助けて」「もうちょっと待って」

「助けを求め方の正解は何か分からない」

「たくさん嘘ついて整理できない」

こんな言葉が頭の中を巡りそうになってはかき消して、

という日々でした。

 

そんな状態とは知らず、店の予約やプレゼントの調査の為に、

私と早めに連絡を取りたい友達から何度も何度も連絡が来ました。

私は何故か涙は出ませんでした。

親友の一人が、過去に一緒に海外旅行した記録を元に、

私の父親宛に連絡をしてくれました。

「お祝いで会う約束をしてたけど連絡が取れず心配」

私は何て、素敵で、失ってはいけない友達を持っているのか…

何故もっと早く助けの手を伸ばせなかったのか…

 

友達づてで、父に連絡がいき、状態を把握した上でも

親との連絡を先延ばしにしたい気持ちに、

鞭を打って、斧を振り下ろして、

何とか親に電話しました。

 

何を話したか覚えてません。

「会社行っている?」の質問に「行っていない」と

答えるのにどれだけ時間がかかったか、

どれだけ考えたか、どれだけ言いづらかったか、

それでも言えました。

会社に行っていないほぼ1か月の間に出なかった涙が、

ぼろぼろと出てきました。

「助けてあげる、守ってあげる」

その言葉を待っていたのか、言われたくなくむきになっていたのか、

言ったら楽になることが重々分かっていても、

一人暮らしして、楽しく、明るく、前に向かって、頑張っている、

そんな自分でありたいという呪縛からなのか、

どうしても伝えることが、大きなハードルでした。

 

今となっては、覚悟を決めて電話をして、

覚悟祖決めて現況を報告したことで助けられました。

 

改めてではありますが、今回は、

友達が好意で家族に連絡をしてくれたおかげで助けられましたが、

助けの手を伸ばすことはできませんでした。

 

助けて、という人がいないと感じます。

助けて、というタイミングがあるか分かりません。

助けて、ともっと辛い人に言ったら意味の無い時間になります。

助けて、とそもそも言いたい人がいません、

助けて、という前に携帯で連絡を取ることがどうしても出来ない、

だから、「助けて」と、布団の中で、数日風呂に入っていない髪の毛を

かきむしりながら叫ぶ日々でした。

 

暗い記事になってしまいましたが、

今は、明るく、毎日元気に生活しています。

今=現実逃避、未来=現実だとすれば、

逃亡生活になっていしまっています。

焦る気持ちを抑えて、今=未来への準備だと思って、

一日一日を過ごしています。